これから初めてノーシスを学ぶ人へ!   ノーシスの教えをエッセンスに移管する学習方法=を実行して、近い将来、自分のエゴ根絶のワークを真摯に働きおのれのエゴ溶解を実現する=真の自由を得る=真の解放を得る。

和魂のメモ。

これから新たにノーシス=(おのれのエゴを溶解して、おのれの「我」から解放されて真の自由を獲得する道)=を目指している真面目な求道者へ、この文を捧げます。

ゆっくりとお読み下さい。

これはと思う「センテンス」に出会ったら瞑想してください。

意味の難解の文章に出会った時も瞑想してください。

ここでマスター・サマエルの教えている学習方法を実行される人は、将来「おのれのエゴ溶解実践の道」を明らかに歩み続けて=光の戦士になることでしょう。


われわれに最も必要な事は=「自分の意識を覚醒する事です」。


その第一歩が

1.「おのれの意識覚醒の正しい方法」を教えている「マスター・サマエルの現代ノーシス」の教えを、われわれが正しく理解する事です。

2.次にその「ノーシスの秘教ワークの方法」を実践していくことです。



マスター・サマエルは、われわれにノーシスの正しい学び方を教えています。

このノーシスの正しい学び方を今日、このブログでみなさんに伝達します。


このブログを読んで、単に自分の好奇心を満足させて終えてしまうか、この教えを実践するかはあなた次第です。


1.実行する人と

2.ただ単に読んでも無視して実行しない人では、もう最初の出発点から大きな差が出来てしまいます。



実行するためには

1.あなたの沢山の時間と

2.エネルギーと

3.努力と

4.モティベーション=意欲と

5.人生の明確な目的が必要です。



思うに、

あなたがノーシスの知識を学ぶ正しい方法を実行するために投じた

1.あなたの多くの時間

2.多くのあなたのエネルギー。

3.沢山のあなたの努力。

4.あなたの明確な目的意識とモティベーション

5.多くの多くの犠牲。等は

のちに

1.ノーシスの知識のあなたの深い理解。

2.ノーシスの秘教ワークをあなたが意識を持って実践すること。

3.ノーシスの秘教ワークをあなたが一日も休むことなく実践すること。

4.あなたのノーシスの秘教ワークの正しい進歩。
  
  a)心理ワークのレベルアップ。
 
  b)あなたの精液・性分泌液を変換・昇華し一滴として消耗しなくなる喜ばしい状態。

5.深いあなたの瞑想。

6.イマジネーション・インスピレーション・直観のあなたのイニシエーションの道への上昇。

7.あなたが意識革命の三要素を実践する=ノーシスインストラクターとして人類に献身する。



と言う具体的な成果としてあなたに還元して戻ってきます。


ですから、


われわれがこのまま世間の波に飲まれて

1.エゴの言い訳と

2.エゴの弁解と

3.エゴの愚痴と

4.エゴのうわさ話し等の

つまらないものに大切な時間を無駄に使って


失敗の人生を送るか、



先ず最初にノーシスの知識の正しい方法を実行して、

近い将来に

自分のエゴ根絶に真摯に働いて

実際に自分のエゴの溶解を少しづつ実現して、

自分の大切なエッセンスを解放し

今生の人生の成功の道を歩み続けて行くか!

その分岐点になるマスター・サマエルのあなたへのメッセージです。

(日本語への翻訳と機関誌NWESへの掲載は2008年の春です。)


本質な事実を考察するならば、

1.われわれ自身が最初に自分のエゴを少しづつ溶解して自己変革を為して

2.次に他の人々が変革していけば

数としては極めてわずかな人ですが

個人の延長が社会です。

社会の延長が国です。

国の延長が世界です。

ですから

小規模ながら・

小さいながら・

本質的に

明るい日本へと

正義のアジアへと

正しい世界の建設へと

本当に小規模ですが真に本質的な偉大な前進です。



おのれのエゴ溶解を真に実現することは人生の真の成功です。



このマスター・サマエルのわれわれへの貴重な教えは、

日本のウエーブサイトでも世界中のウエーブサイトでも、

このウエーブサイトでの公開が史上初めてです。

日本ノーシスインターナショナルの機関紙「NEWS」では2008年3月1日号に掲載されています。

ですから、奈良でノーシスを学んでいる日本グノーシスのノーシス学徒のみなさんにも役立つでしょう。



マスター・サマエルがわれわれのためにに贈ってくれた

ノーシスの教えをエッセンスに移管・保管する学習方法を、

日本でノーシスを学ぶわれわれが実践し続けるならば

最終的に。

われわれは人生の真の成功を獲得する可能性を持ちます



選択は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべてあなたの自由です。

すべては・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたの自由と自己責任です。


では、

ノーシスの知識をわれわれが深く理解し、自分のエッセン=意識に移管し保管する方法を

マスター・サマエル

「講演=われわれの生きる小世界」でわれわれに伝授しています。

それを日本中のみなさんへお届けします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われわれの生きる小世界
El pequeno mundo en que vivimos

サマエル・アオン・べオールのベネズエラ講演録
革命的心理学

サマエル・アオン・べオール


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


自分自身についてわれわれはじっくりと考える必要があります。

われわれは大宇宙の小宇宙であるといわれてきました。

実際、われわれは五つのセンターの下部部分に住みます。

みなさん既にご存知のようにわれわれの中には五つのセンターがあります。

1.インテレクチャル・センター・

2.感情センター・

3.動作センター=(運動センター)

4.本能センター・

5.性センターです。

疑いもなく、われわれの小宇宙は、すべての私利に支配されています。

そのため、われわれは惑星地球の現実に気づきさえしません。

われわれ自身の小宇宙・無限小の小さな宇宙に住むといえるのではないでしょうか。

われわれは五感に囚われているため、実際に惑星地球に住むと断言すら出来ません。

われわれは個人的な小宇宙には住んでいるでしょうが、惑星地球には住んでいないのです。

何故?

マインド・情緒・欲望・感情はわれわれの小世界・われわれに住むからです。

われわれは

つまらない利益に支配されて、利己的利益・情欲の対象等以外の他のことについて考える時間がありません。

ですから、

率直に言ってわれわれは本当に惑星地球に住んでいるのではありません。

このことは矛盾しているように思えるでしょうが、確かなことです。

われわれの住む惑星地球を実際に知っている事を、誰が鼻にかける事が出来るでしょうか。


惑星地球は七つの次元を持つ世界です。

誰がその事を知っていますか?

海・特に太平洋と大西洋から孤立した或る深海水域には異常現象があり、船の進めない場所があります。

よどんだ水といわれています説明がつきません。




人々が火を手に入れるためマッチ棒を擦ると、摩擦と共に発火するのは明らかです。

しかし、摩擦前に火がマッチ棒に潜在状態にあったのです。

摩擦と共に成し遂げたのは、ただ火が出るのを可能にすることだけです。

しかしながら人々は、摩擦前に火はマッチ棒に存在していなかったと信じています。

それで火が存在していなかったら、何処から火が生じたのですか?

無から何も生じることは出来ません。ですから火はマッチ棒の前に存在するのです。

では、火の本質とは何ですか?

それについては誰も何も説明出来ませんでした。

科学者は酸化=燃焼の産物です。と言うだけに留まっています。

つまり、答えをはぐらします。

そんな考えは科学者の無知を覆い隠すに過ぎません。


現象の仕組みを研究しても、生命について何を知っていますか?

科学者は生命の仕組みをすべて知ることは出来るでしょうが、生命の本質について何を知っていますか?

何も知りません!

どこかの実験室でもう赤子を取り出す事が出来たという新聞ニュースが、数ヶ月前そのあたりで暴かれました。

馬鹿なことです。単なる実験室の子・「トイレの子」!

もっと愚かな事を見た事がありますか。では騒ぎとは何でしたか。

単に男性の精子を勿論女性配偶子=卵子ともう結合させて、有機体内の対応する場所に置くだけのことで、妊娠が当然起こります。

何も目新しいものはありません。

有名な人工授精であるのは確かです。しかし、彼ら科学者はもう生命を創造したと考えていました。

われわれが精子卵子を構成する化学物質を置いて、一対の男性配偶子と女性配偶子を作るよう科学者に要求すれば、つくるのを私は確信しています。

しかし、そんな人工配偶子が結合した後、そこから胎児が生じるよう、女性体内の対応する場所に置くか、または単に極めて特別な「トイレ」に置くよう要求しても、そこからは何も生じない事を確信しています。



或る日、神の敵、無神論唯物論者が極めて宗教的な人と議論していて、あのディスカッションに来ました。

「鶏か卵、どちらが先だったのか!」と言うあの古典の話しです。

勿論解決出来ない問題です。

誰が卵を置きましたか?鶏です。

では鶏は何処から生まれましたか?

卵から!

では卵は何処から生まれましたか?鶏です。

つまり容易に決着のつかない問題です。

でも議論に議論を重ねました。

こうして宗教家は、そこから、まったく鶏をつくり出せるかどうかを見るため、卵を作るよう唯物論者を挑発しました。    

唯物論者は作ると言い見事の出来栄えの卵を作りました。

そして、完成後、「さて、今度はそこから鶏が生まれるようメス鳥に卵を与えてみよう。」

と宗教家は言います。・・・・・・・

そして、卵をメス鳥に与えましたが、何も生まれませんでした。生命のない死んだ卵でした。

この話しから、生きた細胞を何とか巧く作ったメキシコの大学者アルフォン・エレラ氏が思い出されます。

細胞といっても生きていません。

生命の模造品。

ただしそれなりの細胞です。

しかし、常に死んでいる細胞で生命を決して持っていませんでした。

核と細胞膜などを持ち、細胞は完璧でしたが、決して生命を宿さない細胞です。

死んだ細胞でした。


ですから、われわれは未知の惑星に住み、より正確に言えば惑星ではなく、ちっぽけな世界に住みます。

われわれ一人ひとりは自分の利益・情欲・激情・欲望・心配等に条件付けにされ・制約されて惑星地球に住んでいないのです。

われわれの内に内的感覚があると言われて来ました。

明らかに外的感覚よりも内的感覚の方が沢山あります。

いろいろな、さまざまなスクールが能力開発法、インティモ=魂=心の奥底の感覚・内的感覚を開発する方法を持ちます。



しかし、

親愛なる兄弟姉妹、本当に真の内的感覚を開発したいのならば、あなた方は、

先ず、自分自身を観察する感覚=自己観察の感覚の開発から始めるべきです。

その自己観察の感覚はわれわれ一人ひとりに潜在しています。



われわれはこの自己観察の感覚をもっと発達させないといけません。

ラクティスによって初めてわれわれの自己観察の感覚は開発可能になります。



われわれが自己観察の感覚を使って行くのに連れてわれわれの自己観察の感覚はひとりでに

発達して行くことでしょう。

われわれの自己観察が進歩するに連れて他の感覚もはっきりと顕われて来るでしょう。

そして、

ついにはわれわれが潜在的に所有しているいろいろな内的感覚をわれわれの内心の自己観察によってわれわれのマインドの全域とハートの全域で完全に知り尽くした日、今まで隠れていたそれらの感覚ははっきりと顕われ、素晴らしく伸びるでしょう。

「ノスケテ・イプスム」=人間よ、自分自身を知れ。そうすれば宇宙と神々を知るであろう。と言われてきた理由がそこにあります。




われわれが思慮深くなって行くのに連れて、われわれは自分の陥っている悲しむべき状態も理解して行きます。

人々はちっぽけな世界に中、つまり機械の最下階にしか住まないので,コスモスまたは、いくつものコスモスと関係する物事を理解しないのは当然です。

人々はそれらに対して興味すら持たず、さっぱり分からないことなのです。



人々の唯一の興味は

1.つまらないこと、

2.情欲・

3.肉欲・

4.悪癖・

5.既得権の確保充足

6.心配・

7.利己主義・

8.お金・また更なるお金・

8.姦淫・

9.アルコール飲料等です。

それが人類なのです。


ですから、七つのコスモスについて話し、人々が法則とその原理を研究し始めるように仕向けると、このことに興味を余り抱きません。

なぜならさっぱり分からず、つまらない心配事の一部でないからです。


それが厳しい現実です。



われわれは、ノーシスを深く研究する必要があります。

ノーシスを研究するための書物・講演等があります。

しかし、

兄弟姉妹、ただ作品を読むだけでは不十分です。

もっと掘り下げないといけません。





疑いもなく兄弟姉妹は原則として

1.読み

2.録音テープを聴き

3.講義に参加し

4.ノートをとり・メモし

5.それを暗記する必要があります。

記憶は形成原理ですが、兄弟姉妹、それがすべてではありません。

あなたたちが何から何までいつも記憶に頼るならば、結局は何の役にも立たないでしょう。

記憶は100%当てにならないからです。

記憶に頼る物事は、いずれそのうち失われます。




兄弟姉妹が本当にノーシスの教えを生かしたいならば、

明らかに兄弟姉妹はノーシスの知識を「意識」=「エッセンス」に保管する必要があります。

記憶が必要なのは原則として否定しません、肯定しますが、ノーシスの知識を記憶だけに留めておくべきではありません。



1.われわれが記憶に保管したノーシスの知識の内に秘めた深い意味を瞑想によってわれわれが知ろうとする時、

われわれの記憶に保管されているノーシスの知識は「インテレクチャル・センターの高等部分」に移ります。



2.われわれがノーシスの教えをもっと意識しようとするならば、ノーシスの知識は決定的に「高等感情センター」に吸収されます。



その時には兄弟姉妹のノーシスの知識はもはやインテレクチャルな知識ではありません。

「高等感情センター」と「インテレクチャル・センター」を区分しないといけません。



3.ノーシスの知識が感情的になった時、つまりノーシスの知識が『高等感情センター」に保管された時、ノーシスの知識は
「エッセンス」つまり「意識」に吸収されます。




意識になったノーシスの知識は肉体が死んでも決して失われません。




なぜなら、

この世に戻ってくる時、「意識」=「エッセンス」の中にノーシスの知識をわれわれは携えるからです。

ですから、

兄弟姉妹、もっぱら記憶にだけ保管されているノーシスの知識は遅かれ早かれ失われます。

親愛なる兄弟姉妹、そういう訳でノーシスの知識は「エッセンス」=「意識」に保管されるのが望ましいのです。



繰り返します。

兄弟姉妹

1.先ずノーシスの教えを研究しないといけません。


2.それから次に記憶にノーシスの教えの全情報を記憶に保管します。


3−1.その次に、記憶に保管したノーシスの知識の内に秘めた深い意味を把握しようとせねばなりません。理解しようとせねばなりません。


3−2.兄弟姉妹がそれを行う時に、兄弟姉妹はノーシスの知識に感傷的・感情的・あるいは、もっとはっきり言うと情緒的なものを感じます。


3−3.なぜなら、ノーシスの知識は記憶から「インテレクチャル・センターの感情部分」に移るからです。




4−1.兄弟姉妹がもっと真摯にノーシスの教えの本質を把握しようとしたり、理解しようとするなら、

4−2.ノーシスの教えは生きた感情になり、いわば「高等感情センター」に移り、新たな瞑想によって意識化します。


4−3ついに感情的ノーシスの知識が「エッセンス」=「意識」に沈む時、これが起こるでしょう。


5.これがわれわれがノーシスの知識を意識化するための、ノーシスの知識の通るべきプロセスです。





「エッセンス」とは「意識」です。

「エッセンス」は「本質的存在の中で最も品位のあるもの、最も価値のあるもの」です。






われわれの一人ひとりには思考の流れが二つあります。

1.ひとつは「パーソナリティ」から生じる流れ。

2.もうひとつは「エッセンス」から生じる流れ。



教養ある洗練された「パーソナリティから生じる思考」は、一見したところ「エッセンスの思考」よりも優れているように見えますが、また中身が濃いように見えますが、

実は「エッセンスから生じる思考」は高級タイプなのです。

それでも、両者を見分けるのには相当な観察力が要ります。




「エッセンスの思考」は、よりシンプルです。



「パーソナリティの思考」は、より複雑なので、混合して「パーソナリティの思考」の方が、「エッセンスの思考」よりも
高等の性質を持つと信じる事があるのではないでしょか。



「エッセンスの思考」はとてもシンプルですが高等な性質を帯びているのは確かです。




1.自分の身の上について心配する時、

2.余りにも小さい地球の住人に過ぎないことに気がつく時、

3.球は太陽の断片・太陽からはがれたひとかけら、だと考える時、

4.あるいは、太陽の一粒だと考える時、

「エッセンス」は言わば落ち着かず、渇望し、高等タイプのものを持つ事を疑いもなく示します。

明らかにこの種の思考は極めてシンプルですが、微小世界・小宇宙の世界に住む人々、通常の感覚の微小世界の中に住む人々の関心を惹きません。

そんな気がかりか熱望が「エッセンス」に生じない限り、地球は太陽の断片かどうか、太陽は天の川に属するかどうか知りたいという熱望を感じないのではないでしょか。


シンプルですが実は壮大な思考の性質を持つのが「エッセンス」なのです。


ですから、

われわれの内に宿る最重要なものが「エッセンス」=「意識」である事を兄弟姉妹は理解する必要があります。



魔力を気にかける人が大勢います。

覚醒した「エッセンス」は極めて美しい能力を所有すると私は兄弟姉妹のみなさんに言います。




われわれに必要なのはわれわれの「エッセンスの発達」です。

われわれが自分自身に働きかけない限りわれわれのエッセンスを発達させることは出来ないでしょう。


われわれが自分の

1.「怒りの我」・

2.「強欲の我」・

3.「肉欲の我」・

4.「情欲の我」・

4.「羨望の我」・

5.「怠惰の我」・

6.「大食の我」等を

自分の内心の本性から取り除く事を真に、本当に気にする時、「エッセンス」は自然に驚くほど発達し始めます。



既に何度も言いましたように、

「」エッセンス=「意識」は普通、われわれ自身の内部に巣くう多くの〔非人間的要素= 我=心理的欠点〕の中に瓶詰めにされています。

われわれがエゴ根絶のワークで働いて、

自分のそんな要素=「我」を

われわれが崩壊させたり・粉々にして行くに連れて、

「われわれのエッセンス」はエゴの瓶から出て・解放されて・自由になり・完全に覚醒し・

この顕現界では貴重な素直さ・天真爛漫を備えるでしょう。

自分のエゴをわれわれが消滅させて行くに連れて、「われわれのエッセンス」は解放されて行くでしょう。



われわれの「我」の根本的死と共に「われわれのエッセンス」は絶対的に自由になり

1.われわれの人体・

2.われわれの知的脳・

3.われわれの感情脳・

4.われわれの運動脳の

「三つの脳を通じて顕現する自由なエッセンス」は、本来極めて「素晴らしいエッセンス」です。

1.透視力・

2.透聴力・

3.テレバシー能力・

4.幽体離脱機能

5.数え上げたらきりがないその他非常に多くの内心の感覚が「エッセンス」に輝くでしょう。

ですから、


自分の「能力獲得の道」は=「能力開発の道」は=「エゴ根絶の道」=「秘教的死の道」です。



胚が死なないのなら植物は生まれないといわれて来ました。

真実です。

1.われわれが自分自身に死ぬ時=自分のエゴを溶解した時・

2.われわれの内面に巣くうこの親愛なるエゴをわれわれが粉々にする時・

「エッセンス」が、「自由なエッセンス」が誕生するのでわれわれに潜在していた能力が顕在化します。


「われわれの自由なエッセンス」は極めて多くの機能・貴重な感覚・驚くべき能力を成就します。



チャクラ開発・魔力獲得の為のいろいろな団体・さまざまな組織・スクール等も存在します。

それらの協会の中には黒と見なし得るプラクティスを決定的に教えるものもあります。



親愛なる兄弟姉妹、

本当に断言できますが、ただ能力開発のみを気にかけて、「自分の我」を消滅させないなら最悪の場合、黒魔術師になるでしょう。


聖書にはっきりと明確に語られて来ました。

福音書には「神の国とその義とを先ず第一に求めなさい。

そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えす。」マタイ6:33にそのように書かれています。



生まれたばかりの赤子が如何に美しいかご覧下さい。

赤子を通して赤子に唯一表現するのは「エッセンス」です。

ただし、繰り返し言いますが新生児について語っています。

新生児が無意識状態で眠っていると考える者たちは大いに誤っています。

新生児はみなさんを見て、みなさんを哀れんでいます。

新生児はみなさんより意識が目覚めています。

新生児がみなさんの生き方に気づかないと信じるなら皆さんは完全に誤っています。

新生児は皆さんの生々しい生き様に気づくばかりか、さらに悪いことに皆さんの内に巣くう嫌な者=皆さんの「我」にも気がつきます。

それが一番悲しいことです。

「エッセンス」の100%がすべて赤子に表現すると皆さんに言いたいわけではありません。

そうではなく、生まれてきた赤子、人生に戻り新たな人体に再合体した新生児には、

エッセンスの最小の断片が表現するだけだと言いたいのです。

赤子はまだ自分のエゴが帰還していないのでその最小の「エッセンス」は覚醒していて、「自意識」を持っているのです。

「エッセンス全体」が自らを表現できないのは残念です。

真実、新生児は「3%のエッセンス」が自らを表現します。

その3%は自由で自己覚醒して意識を持っています。

ですから新生児は十分活動している内心の感覚を沢山持っているのです。

時間が経つに連れて何もかも変化していくのは明らかです。

新生児は大人のせいで意識だだんだん眠って行くのです。

大人の表情や身振り・下等感情等をまねし始め、しまいにはとうとう意識が眠ってしまいます。


「我」は複数なので、新生児を意図的に観察する真の覚者は以下の事を目にします。

揺り篭の中の意識の覚醒している赤子。

「赤子のエッセンスの最小の断片」は自らを表現して、完全に自意識を持ち、覚醒しています。

さらに、揺り篭の周囲には顕現を企てるいろいろな「我」・さまざまなエゴが見られます。

美しい姿をしたのもあれば身の毛もよだつ姿をしたものもあり、赤子の眠る寝室内を行き来し、出入りし、揺り篭の周囲を回ったりしています。

自らの表現をするのを待っている「赤子の我」です。

それらの「我」の中に「赤子のエッセンス」の残りが分割されています。

つまり、それらの「我」一つ一つにの中に、「エッセンスの97%」が詰め込まれています。

或る「我」の中には「定量のエッセンス」が詰め込まれており、別の「我」の中に「別の量のエッセンス」が詰め込まれています。

それらの多数の「我」は揺り篭の周囲を回り、自らを表現し、顕現し、赤子の小さな身体の中に入ろうとしますが、それが出来ません。

時間が経つに連れて幼児・児童の新しいパーソナリティーが形成されていくに連れて、「我」は新生児の前頭泉門が閉じた後・顕現していく機会を待っています。

赤子の上部の頭頂骨が少しばかり開いているのを皆さんは良く観察して来ました。

それが「ひよめき〕と呼ばれるものです。

赤子のひよめきが開いている間は何もかにも巧く進みますが、その前頭泉門が閉じて行くに連れて赤子のパーソナリティも発達して行き、「我」の干渉しだす力がますます大きくなります。

その時幼児に怒りの或る表現が見え出し、とりわけ3・4歳で怒りっぽくなり始めます。

そして少しずつ「我」は自分を表現・顕現する機会を持ちます。しまいには、全部の「我」が決定的に顕現し表現します。

ですから新生児を観察するのはとても興味深いです。

私が思うに、「エッセンス」がすべての「我」の中に、雁字搦めになって入っていないのは、何と素晴らしいのでしょうか!

いかなる「我」も赤子の中に入らずに、赤子が成長し、「エッセンス全体」が生涯を通じてその人に存在し顕現しているのは、何と素晴らしい事なんでしょうか!

その時に、
1.インテルクト・

2.感情・

3.運動・

4.本能・

5.性

と言う機械の五つのシリンダーは、すべてエッセンスの支配下に入って、無限=絶対と調和して稼動するでしよう!。



あいにく「エッセンスの97%」はエゴ・「我」を構成するいろいろな「要素」の中に閉じこめられています。

兄弟姉妹の皆さん、「あなたのエッセンス」を発達させ、瓶から「エッセンス」を出して解放する必要が皆さんにあります。



「エッセンスの解放」をわれわれが成し遂げる時、自然の奇に畏奇能力が備えているすべての美と力を持ってわれわれにいろいろと顕現するでしょう。



こうして、単に能力獲得のために、それだけのためにがんばる必要はないのです。

われわれが[がんばるべきこと]は、今ここで、自分自身に死ぬことです。

死と共に初めて新しいものが到来する。・・・・からです。



クリスト教の偉大な神秘家達の生涯を良くご覧下さい。

能力獲得を気にせず、ただ、

1.聖性・

2.自分の心理的欠点を一つ一つ取り除いて行くこと・

3.自分自身に死んで行く事・

のみを気にし、それらを段階的に成し遂げていくに連れて超常機能がいろいろと彼らに顕現して来ました。

これらの人々は、常に「聖人」として知られてています。


西洋であれ、東洋であれ、さまざまな出身の「聖人」が大勢います。



親愛なる兄弟姉妹、聖性が最も重要なのです。


話は以上です。どなたか何か質問があれば、どうぞご自由に。


質問。

マスター、あなたはノーシスの知識を意識化するため知識の通るべきプロセスを説明して呉れました。

私の質問はこうです。

真理の本姓は感情的性質をもちますか?。それとも、本能的性質を持ちますか?


マスターの答え。

真理は定義できないものです。定義すれば歪むからです。

しかし、

ノーシスの知識を意識化するための段階は、次のように進むと確かに言えます。


あとで知識を記憶に保管する為に、


1.先ず、研究します。



2.第二段階では、記憶に保管されたノーシスの知識の深い意味を理解する為に瞑想します。

この時に、ノーシスの知識は瞑想によって「インテレクチャル・センターの感情部分」に移ります。



この事を兄弟姉妹にもっと詳しく説明する必要があります。

われわれ一人ひとりのインテレクチャル・センターには三つの部分があります。

・高等な知的部分

・感情部分

・運動部分

いわば、ノーシスの知識は「インテレクチャル・センターの感情部分」に移ります。

その時に、われわれは、記憶にしまったあの味合いを感じます。




3.さらに、進んだ進んだ瞑想段階では、そのノーシスの知識は決定的に「」インテレクチャル・センターをもはや捨てて、完全に「感情センター内」に移り・留まります。




4.続いて瞑想テクニックによって、ついにノーシスの知識は「感情センター」から「エッセンス」に移る事が出来ます。



こうして、そんなノーシスの知識は、もっと明確に言えば「エッセンス」へ送ることの出来た真理は、「エッセンス」に保管されます。

どちらかと言うとその真理=ノーシスの知識は感情的な味合いがあります。

でも、下等感情ではなく、高等タイプの感情について私は語っています。



高等感情はいかなる知識も「エッセンス」=「意識」に移る事を可能にします。



「高等感情」はいかなる知識も「エッセンス」=「意識」に保管する事を可能にします。


けれども、

例えば、アリストテレスの「冷静な分析的なインテレクト」はまったく不完全であり、決してノーシスの知識の意識化が出来ません。ただ記憶に保管されるだけです。

そのため、

実は、いわば純粋で冷静な推論であるアリストテレスの体系とプラトンまたは、 ポルフュリオスの体系の間では、私はプラトンのほうが好きです。

プラトン主義の方法、つまりヤンブリコスやポリフュリオスの学派は高等感情的で、知識を意識に導く事が出来ます。

つまり、

アリストテレスの冷静な推論では決して出来ないノーシスの知識の意識化が、新プラトン主義ですとノーシスの知識の意識化が可能です。
それだけです・・・・・!

他に質問がありますか?


質問。

尊敬すべきマスター、新しいパーソナリティーが形成されていくに連れて、どのようにすれば幼児は、「我」に囚われないように出来るでしょうか。


マスターの答え。

正に真理とは今あるものです。言葉は法典なり。

明らかに新生児には「エッセンスの最小の断片」があり、

その「最小の断片のエッセンス」が新生児を通じて表現します。

それで新生児はいってみれば美しく崇高なのです。

あいにく最悪なことに、早かれ遅かれ、とりわけ新生児の前頭泉門が閉じた後、

赤子の「我」は自らを顕現・表現し始め、そのかわいらしい身体の中に入り始めます。

生前に「我」を溶解していないからです。


幼児期から幼児を指導できるならば本当にノーシスの道を授けて、

エゴとは何かなどを説明すべきなのですが、・・・・・

しかし、これはもう別の問題であり、幼児教育の話は大変長くなるでしょう。

「我」は存在する限り顕現するはずだと言ううに留めます。



「エッセンス」が自由になるために「我」を溶解させるのは望ましいです。



「我」を溶解した人が、この世に戻り、回帰し、

新しい乗り物=身体に再合 体した時、完全に目覚めたままやって来て、

しっかりと、「かみそりの刃の道」=「ノーシスの道」を歩みます。


われわれはあいにく再合体する時、いずれそのうち「我」は顕われ始め、

われわれを通じて自らを表現する為に「我」が実際にわれわれの身体に入りだす時に、

われわれは新生児本来のその美しさを失います。・・・・・・・・。



それなりの理由があってマスター・クリストは

「子供のようにならない限り、決して天の御国には入れません。」と言ったのです。



われわれは「マインドとハートに無邪気さ」を取り戻す必要があります。



間違って世間では言われていますが・・・・

無邪気さはその人をさらに弱く愚かにし、誰もがその人から下劣にも窃取でき、

無邪気なので「世間に食い物にされる」と多くの人が信じます。


でも、それはエゴから発する誤った考えです。


なぜなら、エゴは自分が強く全能で強大だと信じるからです。

実際はそうではないのにエゴは自分は大変強いと信じます。



真実は、われわれがエゴを崩壊させる時、われわれは「無邪気さ」を創造するのです。しかも、「智慧」を伴って。

何故ならば、われわれが各「我」を溶解させるとわれわれは叡智を獲得するからです。



怒りのプロセスについて注意を向けて下さい。

怒りの状況がどれだけありますか?

沢山ありますね。

1.嫉妬が突然生じたり、

2.失望を感じたりするので怒りがあるのかも知れません。

3.自尊心を傷つけられたので自尊心ゆえに怒りがあるのかも知れません。

4.或いは、別の理由で怒りが有るのかも知れません。

怒りを研究するのは大変興味深いことです。

怒りはどうやって処理されましたか?

怒りのそんな状況が、なぜ?

あなたは、どのようにカッとなりましたか?



そういうわけで、

怒りの何らかの「我」をあなたが溶解する時、

それはあなたがその前に予め

その「我」を深く理解したからなんですね。

あなたがこの時、「自分の怒りの我」を理解したならば、

あなたは、類のない素晴らしい智慧を獲得したのです。




あなたが、智慧のパンを欲するならば、

あなたが溶解させる心算の自分の「好ましくない要素=Ego」を、

あなたは、一つ一つ深く理解して行かねばなりません。



あなたが「自分の我」を一つ一つ深く理解して行くに連れて、

あなたは叡智を獲得して行くでしょう。

つまり、

あなたは「自分のエゴ」を全部崩壊させて、「自分のエッセンス」を解放した時、

あなたは智慧を添えて無邪気になります。



そして、

善悪ばかりか善の中の悪、悪の中の善をもあなたは知る事が出来るので

智慧・叡智があなたを守ってくれます。


質問。 マスター、われわれがエゴを溶解していくにつれて、われわれのエゴ、ますますかわいくなって行き、,ますます子供になって行き、いわば美しくなって行くのは、確かですか?。

マスターの答え。

そのとおり!

「我」はさまざまな姿をしています。

本物の身の毛もよだつ獣のように見える怪物の「我」があります。

それらの「我」を観察する透視者は、誰もが震えあがります。

新生児がいつもおびえ、これと言った理由もなく突然大声をあげるのをみなさんは見た事があるでしょう。

それは、正に新生児が自分の「我」をいくつか観るからです。

「我」は新生児のゆり篭の近くを通り過ぎるので、このため新生児は恐怖を味合うのです。

新生児にそれが起こるならば、奈落に住む人々に同じ事が起こります。

奈落に住む人々の目の前に自分自身の「我」が迫り、その時、奈落に住む人に、言い表せない恐怖と戦慄が起こります。

しかし、みなさんがこの三次元世界で、「自分の我」を溶解していくに連れて、「皆さんの我」は小さくなって行きます。

たとえば、みなさんが、自分の「羨望の我」を溶解したいとしましょう。

「羨望の我」は大体において恐ろしい怪物ですが、その「我」に働きかけていくに連れて「我」は量を失い、小さくなって行き美しくなって行きます。

「羨望の我」は最後には幼児の姿をしてますます小さくなって行き、ついには宇宙の砂ぼこりと化して崩壊して行きます。

ここで、マスタ=・クリストの言葉「子供達ののようにならない限り、決して天の御国二には入れません」。が成就します。

ですから、

「エッセンス」=「意識」が自由になって「エッセンス」=「意識」が持っている

1.美

2.自然さ

3.素直さ

をすべて備えて私達に表現するように、私達は「自分の我」を全部崩壊させる必要があります。



既に、みなさんには言いましたが、私達は外的感覚よりも内的感覚の方が沢山あります。

私達は先ず最初に自己観察のその感覚を使い、発達させる事から始める必要があります。

自己観察の感覚をみなさんが使うに連れて他の内的感覚も発達して行きます。

ですから、

親愛なる兄弟姉妹、自分自身にひたむきに働きかける必要があります。

どなたか、他の兄弟姉妹は質問がありますか?


質問。  尊敬すべきマスター、あなたは私達に語りました。自分自身に「永続的重心」を確立している人がいて、
その人の「エッセセンス」=「意識」は動ぜず平然としていて、動揺したり傷ずついたりしなかったと。
それは菩薩、堕落したマスターのことを言っているのですか?


マスターの答え。
前世,前世で、この種の研究をしたり、勝手自分自身に働きかけた人は全員「永続的重心」を持ちます。
そのような人は重心を一つ形成します。

より強い重心を持つ人もいれば、余り強くない重心を持つ人もいます。

前世でノーシスのワークをしたが故に特別の重心を持つ時、その人が現世に戻ってくる際に精神的進歩向上に必要なすべての要素=「ノーシスの書物」、「ノーシスインストラクター」などがその人のところに来ます。疑いありません。
それだけです。

親愛なる兄弟姉妹、話は以上です。

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和魂のメモ

マスター・サマエルの肝心な記述3箇所を再度ここにコピーしてお知らせします。

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その1.


われわれは、ノーシスを深く研究する必要があります。

ノーシスを研究するための書物・講演等があります。

しかし、

兄弟姉妹、ただ作品を読むだけでは不十分です。

もっと掘り下げないといけません。

疑いもなく兄弟姉妹は原則として

1.読み

2.録音テープを聴き

3.講義に参加し

4.ノートをとり・メモし

5.それを暗記する必要があります。



記憶は形成原理ですが、兄弟姉妹、それがすべてではありません。

あなたたちが何から何までいつも記憶に頼るならば、結局は何の役にも立たないでしょう。

記憶は100%当てにならないからです。

記憶に頼る物事は、いずれそのうち失われます。


兄弟本当に姉妹が本当にノーシスの教えを生かしたいならば、

明らかに兄弟姉妹はノーシスの知識を意識=エッセンスに保管する必要があります。

記憶が必要なのは原則として否定しません、肯定しますが、ノーシスの知識を記憶だけに留めておくべきではありません。

1.われわれが記憶に保管したノーシスの知識の内に秘めた深い意味を瞑想によってわれわれが知ろうとする時、

われわれの記憶に保管されているノーシスの知識はインテレクチャル・センターの高等部分に移ります。

2.われわれがノーシスの教えをもっと意識しようとするならば、ノーシスの知識は決定的に感情センターに吸収されます。

その時には兄弟姉妹のノーシスの知識はもはやインテレクチャルな知識ではありません。

感情センターとインテレクチャル・センターを区分しないといけません。

3.ノーシスの知識が感情的になった時、つまりノーシスの知識が感情センターに保管された時、ノーシスの知識はエッセンスつまり意識に吸収されます。

意識になったノーシスの知識は肉体が死んでも決して失われません。

なぜなら、

この世に戻ってくる時、意識=エッセンスの中にノーシスの知識をわれわれは携えるからです。

ですから、

兄弟姉妹、もっぱら記憶にだけ保管されているノーシスの知識は遅かれ早かれ失われます。

親愛なる兄弟姉妹、そういう訳でノーシスの知識はエッセンス=意識に保管されるのが望ましいのです。



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マスター・サマエルの肝心な記述3箇所を再度ここにコピーしてお知らせします。


その2.





繰り返します。

兄弟姉妹

1.先ずノーシスの教えを研究しないといけません。


2.それから次に記憶にノーシスの教えの全情報を記憶に保管します。


3−1.その次に、記憶に保管したノーシスの知識の内に秘めた深い意味を把握しようとせねばなりません。理解しようとせねばなりません。


3−2.兄弟姉妹がそれを行う時に、兄弟姉妹はノーシスの知識に感傷的・感情的・あるいは、もっとはっきり言うと情緒的なものを感じます。


3−3.なぜなら、ノーシスの知識は記憶からインテレクチャル・センターの感情に移るからです。




4−1.兄弟姉妹がもっと真摯にノーシスの教えの本質を把握しようとしたり、理解しようとするなら、

4−2.ノーシスの教えは生きた感情になり、いわば感情センターに移り、新たな瞑想によって意識化します。


4−3ついに感情的ノーシスの知識がエッセンス=意識に沈む時、これが起こるでしょう。


5.これがわれわれがノーシスの知識を意識化するための、ノーシスの知識の通るべきプロセスです。


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マスター・サマエルの肝心な記述3箇所を再度ここにコピーしてお知らせします。


その3.



質問。マスター、あなたはノーシスの知識を意識化するため知識の通るべきプロセスを説明して呉れました。

私の質問はこうです。

真理の本姓は感情的性質をもちますか?。それとも、本能的性質を持ちますか?


マスターの答え。

真理は定義できないものです。定義すれば歪むからです。

しかし、

ノーシスの知識を意識化するための段階は、次のように進むと確かに言えます。


あとで知識を記憶に保管する為に、


1.先ず、研究します。



2.第二段階では、記憶に保管されたノーシスの知識の深い意味を理解する為に瞑想します。

この時に、ノーシスの知識は瞑想によってインテレクチャル・センターの感情部分に移ります。



この事を兄弟姉妹にもっと詳しく説明する必要があります。

われわれ一人ひとりのインテレクチャル・センターには三つの部分があります。

・高等な知的部分

・感情部分

・運動部分

いわば、ノーシスの知識はインテレクチャル・センターの感情部分に移ります。

その時に、われわれは、記憶にしまったあの味合いを感じます。




3.さらに、進んだ進んだ瞑想段階では、そのノーシスの知識は決定的にインテレクチャル・センターをもはや捨てて、完全に感情センター内に移り・留まります。




4.続いて瞑想テクニックによって、ついにノーシスの知識は感情センターからエッセンスに移る事が出来ます。



こうして、そんなノーシスの知識は、もっと明確に言えばエッセンスへ送ることの出来た真理は、エッセンスに保管されます。

どちらかと言うとその真理=ノーシスの知識は感情的な味合いがあります。

でも、下等感情ではなく、高等タイプの感情について私は語っています。



高等感情はいかなる知識もエッセンス=意識に移る事を可能にします。



高等感情はいかなる知識もエッセンス=意識に保管する事を可能にします。


けれども、

例えば、アリストテレスの冷静な分析的なインテレクトはまったく不完全であり、決してノーシスの知識の意識化が出来ません。ただ記憶に保管されるだけです。

そのため、

実は、いわば純粋で冷静な推論であるアリストテレスの体系とプラトンまたは、 ポルフュリオスの体系の間では、私はプラトンのほうが好きです。

プラトン主義の方法、つまりヤンブリコスやポリフュリオスの学派は高等感情的で、知識を意識に導く事が出来ます。

つまり、

アリストテレスの冷静な推論では決して出来ないノーシスの知識の意識化が、新プラトン主義ですとノーシスの知識の意識化が可能です。

それだけです・・・・・!

他に質問がありますか?

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和魂メモ

新しくノーシスを学ぼうとしている皆さんの健闘を祈っています。



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