これからノーシスを学ぶ人へ!マスター・サマエルの講演「再評価」を推薦します。

再評価

=ノーシスの秘教ワークの再評価(副題)

LA TRANSVALORIZACION

サマエル・アオン・ベオールのベネズエラ講演録

ノーシス心理学

純粋科学、客観芸術、秘教哲学、 超越的神秘主義

ベネズエラ、スリア州マラカイボ

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(本文)

1.あなたがノーシス秘教ワークを愛さないのならば、

あなたはノーシス秘教ワークと結び付く事は出来ない。

2.あなたのノーシス秘教ワークとあなたの生活が結び付かないのならば、

あなたは明らかにノーシス秘教ワークを実践しない。

3.あなたは私の著作を読んで講演に出席することに満足して、

あなたはノーシス秘教ワークを実践しないだろう。

4.あなたにとって深刻なのはそこ(あなたがノーシス秘教ワークを実践しない事)である。

5.ここであなたに与え書物を通じてあなたに与えるノーシスの教えで、

あなたがノーシス秘教ワークを実践しない時、

あなたがノーシス秘教ワークを理解出来ないのは確かである。

クリスティクな福音書の商人の喩え話を思い出そう。

大変高価な真珠を自分のものにしようとした商人のあのケースですが、その方法が最初はなかった。

どうしましたか?。

その人は持ち物、全資産をすべて売り払った。

その高価な真珠を貰うという条件で全資産をすべて売り払い、真珠を手に入れた。

「天の御國は、良い真珠を捜している商人のようなものである。

素晴らしい値打ちの真珠を一つ見つけた者は、

行って持ち物を全部売り払ってそれを買った。」        『マタイ13:45・46』



この高価な真珠がノーシスの秘教ワークである。





あなたがノーシス秘教ワークを手に入れる為には、

あなたは

1.あらゆる種類の二次的興味を放棄して

2.現世で心を魅了しうるものをすべて捨てて、

もっぱらノーシス秘教ワークにあなたは専念する必要がある。

怒り

強欲

肉欲

羨望

嫉妬

批判

傲慢

自尊心

大食

怠け心

不寛容

情欲などを具現する数々の「心理の欠点」をあなたは内部に所有しているので、

あなたのこれらのさまざまな「要素=我」はとりどりの方向にあなたの意識を引っ張って、

実にいろいろの興味に照準を合わせ、

あなたの心理エネルギーは,いろいろな興味や価値などにも巻き込まれてしまっている。

あれこれの価値に巻き込まれてしまっている、あなたの心理エネルギーを、あなたは解放する必要がある。

あなたが心理エネルギーを解放出来れば、

高価な真珠=ノーシス秘教ワークにあなたの心理エネルギーを集中出来る。

1.あなたが心理エネルギーを解放する時・・・・・

2.あなたが物質的興味からあなたの心理エネルギーを連れ出す時・・・・

3.あなたが利己的興味からあなたの心理エネルギーを連れ出す時・・・・

4.あなたが情欲からあなたの心理エネルギーを引き出す時・・・・・

5.あなたが怒りからあなたの心理エネルギーを引き出す時・・・

6.あなたがいろいろなつまらないものからあなたの心理エネルギーを引き離す時・・・・

7.あなたがノーシス秘教ワークと言うたった一つの方向にあなたの心理エ ネルギーを集中できた時・・・・・

8.あなたは明らかにノーシス秘教ワークと結び付きが出来る。

9.この時あなたは初めて自分自身に働きかけるノーシス秘教ワークに専念出来る。

10.そうなったあなたは当然のことですがあなたは根本からの急激な変化に至る。

あなたが本当に変化を熱望すると言うのであれば、この事実をあなたは理解して行く必要がある。
    
明らかなことであるが、

1.あなたがノーシス秘教ワークを愛すること。

2.あなたのノーシス秘教ワークへの献身。

3.あなたのノーシス秘教ワークの専念。

これこそがあなたの意識の目覚め=良心の目覚めの基本である。

私達は愛について話す時、分析において正確である必要がある。

私は調査・研究において数学的で、表現に厳しいことを憶えていなさい。

[愛]と言う言葉自体、少し抽象的である。

「愛」と呼ばれるものが何か知るため、詳しく説明する必要がある。

先ず、何よりもクリスティクな福音書を参照する必要がある。

偉大なるカビール・イエスは言った。

「もしあなたがたのお互いの間に愛があるならば、その愛がある事実によって、

あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認める」。『ヨハネ13:35』

また偉大なるカビールの大変興味深い言葉が他にある。

「何ものにまして神(=自分の内に在る本質的存在=魂)を愛しなさい。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」

「自分にしてほしくないことは他の人にもしてはいけない・・・・。」

人々は愛という言葉を聴く時、何か心に届くものを感じるが、人々はエゴと一体化した主観的心理状態でいるので

1.主観的な考えをして、(=その人の「我」が、その人のマインドを使って思考している。)

2.客観性のある思考=(その人の本質的存在の思考)をしていないので、

偉大なるカビールの前述の言葉の深い意味を明らかに正しく把握せず,正しく理解しない。

あなたは愛とは何かを理解する必要がある。

あなたが愛を理解する事は後回しに出来ない。

「自分にしてほしくないことは他のひとにもしてはいけません・・・。」というあのクリストの言葉は

「他の人を十二分に意識しなさい、自分自身(自分の中にある複数の我=エゴ=)をも十二分に意識しなさい。」と解釈出来るのではないだろうか。

「何ものにまして神(=自分の内に在る本質的存在)を愛しなさい。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」と言う言葉は

「あなたの中にある神性(=神=本質的存在)と隣人と自分自身(自分の中にあって生き生きと生きている複数の我=エゴ=)を十二分に意識しない。」と解釈出来るのではないだろうか。

であるから

愛は意識と解釈出来る。

その愛と呼ばれるものをあなたは十二分に意識する必要がある。

あなたが隣人を十二分に意識しないのならば、どうしてあなたは隣人を愛する=理解する事が出来るだろうか。

あなたが隣人を本当に理解したいというのなら、あなたは隣人を十二分に理解する必要がある。

あなたは隣人を理解して初めて、あなたは隣人に対して愛を感じるだろう。

であるから

あなたが隣人を十二分意識出来るようになるためには、あなたは自分自身(自分の複数の我=エゴ)を十二分意識する必要がある。

あなたが自分自身を十二分意識しないのならば、どうやってあなたは隣人を十二分意識する心算なのか。

そして

あなたが隣人を理解しないのならば、隣人に対してあなたはどんな態度をとるのか。・・・

これはあなたと隣人にとって大変重要である。

ノーシス秘教ワークでは心理ワークへの愛が必要であるが、

あなたが心理ワークを理解しないのなら,あなたの心理ワークへの愛は在り得ない。

あなたがノーシス心理ワークを理解する事が基本である。

これら意識・理解・愛の探求をつづけていこう。

三種類の愛がある。

自分に対してしてどんな種類の愛を感じているか,イエス・クリストが弟子たちに質問する時、

私たちはクリストが語る愛を徹底的に理解する必要がある。

なぜなら

1.単に性的な愛と

2.単に感情的な愛と

3.意識ある愛が存在するからである。

「愛は法なり。ただし意識ある愛なり。」と私たちは言う・・・。

多くの人々は愛と言う言葉を「性」という意味で使う。

これが性愛である。

感情に重心を持つ、単なる「感情的愛」を培う人々が他にいる。

二人の間のそんな「単なる感情的愛」は、疑いもなく憎しみに方向を変え、憎しみが「単なる感情的愛」に方向を変え、

ころころ変わり、悲嘆、恋情、嫉妬などに満ちている。

したがって、言葉のもっとも完全な意味で「感情的愛」は,

「思慮深い愛」として分類出来ないだろう。

「意識ある愛」のみが尊敬に値するのは明らかである。

あなたに「意識ある愛」が存在するためには、

あなたは何よりもまず自分自身(自分の複数の我=エゴ)に働きかけて、

あなたの内面に巣くう「好ましくない心理要素」を取り除く必要がある。

さもないと、あなたに「意識ある愛」は生まれないだろう。

どうして、

1.単に感情的な人、

2.嫉妬に満ちた人、

3.不信に満ちた人が、「意識ある愛」を持てるだろうか。

その「意識ある愛」があなたに生まれるためには、

1.あなたの情欲、

2.あなたの激情、

3.あなたの嫉妬、

4.あなたの喧嘩などの「要素」、

5.あなたの単に官能的な「要素」などを、

6.あなたは取り除き、

7.あなたは、常に人の立場に身を置く事が出来るようになる必要がある・・・。

あなたが、他人の立場に身を置く事が出来るようになる事は、なんと難しいのだろうか。

しかし

あなたが「意識ある愛」を感じられるようになれば、あなたは他人の立場に身を置く事が出来るようになる。

「自分にしてほしくないことは他の人にもしてはいけません。」というあのクリストの言葉は

「あなた自身(自分の中にある複数の我=エゴ)を十二分に意識しなさい。同じように他の人を十二分に意識しなさい。」と解釈すべきである・・・。

あなたが、他の人の立場に身を置かないなら、あなたは全面的に失敗する。

あなたは意識的に誰をも愛せるようにはならないだろう。

あなたが、他の人の立場に身を置けるようになる為には、あなたは自分の内部にある自尊心を脇へやる必要がある。

あいにく、人々は自尊心という原型をもとにつくられた。

明らかに、あなたは、自分の内部にある自尊心のいろいろな面を一枚ずつ取り除いて行く必要がある。

男性が女性に感じる「愛」、女性が男性に感じる「愛」と呼ばれるものの大部分は実は自尊心の延長である。

あなたが本当に他人の立場を理解できるようになりたいなら、

1.あなたの自尊心の「我」を絶滅する必要がある。

2.あなたの自尊心の「我」を崩壊させる必要がある。

3.あなたの自尊心の「我」を灰にする必要がある。

ふつう誰も人の視点を理解する具体的な方法を知らない。

ふつう誰も人の立場に身を置く具体的な方法を知らない。

ひとりひとりがおのれの内部の自尊心の「我」に支配されてしまっている。

そのため、あなたは他の人の立場に身を置こうとは全く思わない。

あなたは、他の人の視点から物事を見ようとはまったく思わない・・・。

であるから、

あなたが自分自身から自尊心の「我」を取り除くなら、あなたはめざましい進歩をとげるだろう。

さらに、

1.あなたが自分の内部にある傲慢をはっきりと具現するあの心理的「集合体」を取り除けたら、あなたはすばらしく向上するのは明らかだろう。

2.あなたが自分の内部にある優越感をはっきりと具現するあの心理的「集合体」を取り除けたら、あなたはすばらしく向上するのは明らかだろう。

3.あなたが自分の内部にある不寛容をはっきりと具現するあの心理的「集合体」を取り除けたら、あなたはすばらしく向上するのは明らかだろう。

あなたの傲慢の『我』はは意識覚醒の障害である。

傲慢の『我』ゆえに自分はすごい偉人だと感じ、人前で暴君のようにさえ振るまう。

傲慢家は決して隣人を愛せないだろう。どうして愛するというのでだろうか。

優越感・・・。その「我」をどう思うだろうか。

もし私たちが地上の泥の中をはいずる哀れなミミズにすぎないなら、なぜ人前で、隣人の前で自分をそれほど重要だと感じないといけないか。

あなたの優越感、人よりも優れていると信じるのはあなたの意識覚醒の妨げである。

あなたの不寛容の『我』に関していえば、このため批判をするのである。

隣人の欠点が見えても自分の欠点は見えない。他人の目にわらが見えても、自分の目に梁が見えない。

あなたが、人の立場に身を置く時、あなたは初めて隣人に対してもっと寛容になることを学び、結果として有害な破壊的批判が消える。

こうしてあなたは、他人の立場に身を置くことを学ぶ必要がある。

誰それが盗んだ〔別訳「奪った」〕?

自分が誰かからいちども盗んだことがないと確信しているか。

誰がそんなことを言えるか・・・。誰それが不倫した?今までにいちども不倫したことがないと確信しているか?・・・。

誰それが何らかの騒動を起こしている?騒動を起こしたことがないと確信しているか。

もちろんあなたが寛容さを培う時、その破壊的批判は消える。

ですから寛容さを培う必要があるが、寛容さが私たちに育つには不寛容の「心理的集合体」を私たちは取り除かねばならない。

そのようにしては初めて私たちに寛容さが生まれることができるだろう。

それは言葉の超越的な意味で完璧で、はっきりしている。

人々の隣人への批判のしかたを見ると不思議に思われる・・・。

その人が隣人の立場に身を置けば=少しの間、自分のパーソナリティーを隣人のと交換すれば批判しないだろう。

他人の視点、隣人の立場に身を置けるようになるのはたいへん重要不可欠である・・・。

あいにく人々は他人の立場を理解できず、そのため悲しくも失敗する・・・。

意識が興味深いものであるのは明らかである。

意識は愛である。

愛と意識は同じものの二つの部分である。

自分自身を意識しようとあなたが本当に決意すれば、あなたは他人を意識するだろう。

意識が興味深いものである事は明らかだ。

意識=光=エッセンス=ブダーダ=良心=愛である。

あなたが、自分自身(注意力の分割のワークを真剣に実践して自分のエゴ=複数の我)を意識しようと本当に決意すれば、あなたは他の人を十二分に意識するだろう。

たとえば、隣人をひどく苦しめる者がいるなんて驚きである。

他人を虐待する者がいるなんて驚きである。

その者はなんと無意識なのだろう。

なぜなら、他人をひどく苦しめる時、自分自身(自分のエゴ=複数の我=悪魔=鬼)をひどく苦しめているからである。

最悪である!

他人をひどく苦しめるなら、のちに、自分自身がひどく苦しめられるだろう。

最悪である!

あなたが、実際に精神分野で進歩したいなら、そういう面=

他人をひどく苦しめるなら後に自分自身がひどく苦しめられるという真実を、すべてあなたは見る必要がある。

あなたが、ノーシス秘教ワークの実践に取りかかる時、

1.あなたの価値=あなたのエゴの示す興味と

2.あなたが実践すべきワークとの間に、恐ろしい戦いがある。

皆さんに言ったようにいろいろな興味がある。

1.経済などの分野のさまざまな興味に照準を合わす「心理的集合体」が、あなたの中には沢山ある。

まさしく、その為にあなたはノーシス秘教ワークに完全に入りきれい。

2.政治などの分野のさまざまな興味に照準を合わす「心理的集合体」が、あなたの中に沢山ある。

まさしく、その為にあなたはノーシス秘教ワークに完全に入りきれない。

3.社会などの分野のさまざまな興味に照準を合わす「心理的集合体」が、あなたの中には沢山ある。

まさしく、その為にあなたはノーシス秘教ワークに完全に入りきれない。

4.恋愛などの分野のさまざまな興味に照準を合わす「心理的集合体」が、あなたの中には沢山ある。

まさしくその為に、あなたはノーシス秘教ワークに完全に入りきれない。

ある段階から、ノーシス秘教ワークの為にすべて投げだす別の上の段階にあなたが移る事は・・・・・・

1.あなたの意識の覚醒のために決定的に必要な事である。

2.あなたの良心と愛の覚醒のために決定的に必要な事である。

あいにく=『とても不幸なことに』人々はそのように(ノーシス秘教ワークの為にすべて投げだそうと)考えない。

一般的に

1.ノーシス学徒は過去と未来の間で長時間過ごす。一種の生彩のない支離滅裂なものが出来てしまう。

そうゆう状態の中でワークを望むが、ノーシス学徒は完全にはノーシスの秘教ワークに没頭しない。

2.ノーシス学徒は自分の過去の価値=エゴ=とノーシス秘教ワークの間で長時間過ごす。一種の生彩のない支離滅裂なものが出来る。

そうゆう状態に中でワークを望むが、ノーシス学徒は完全にはノーシスの秘教ワークに没頭しない。

結局、ノーシス学徒達は、時間を沢山浪費する。

しかし、それでも,

ノーシス学徒の内には「高価な真珠」=ノーシスの秘教ワークの実践のためにすべてを投げだす決心をするノーシス学徒が何人かはいる・・・。



あなたが、自分自身(自分のエゴ)に働きかける真剣なノーシス秘教ワークに後日、専念できるようにるためには、

あなたは、

1.あなた自身の人生の再評価が必要である。

2.ノーシス秘教ワークの再評価が必要である。



この「再評価」というのはあなたにとって,たいへん重要である。

あなたは「再評価」をどういう意味で使っているのだろうか?。

再評価の意味は何だろうか?。

あなたは、まったくすべてのあなたの興味関心を評価するが、再評価はもっと先へ行く。

再評価と言う言葉の深い意味は

1.あなたの、経済的興味などは、むなしく役立たず、

あなたの人生にとって、ノーシスの秘教ワークは何よりもすばらしい事実を、あなたが再評価によって理解するようになるという事である・・・。

再評価と言う言葉の深い意味は

2.あなたの、社会的興味などは、むなしく役立たず、
あなたの人生にとって、ノーシス秘教ワークは何よりもすばらしい事実を、あなたが再評価によって理解するようになるということである・・・。

あなたは,

1.あなた自身の人生の再評価によって・・・・・・。

2.ノーシス秘教ワークの再評価によって・・・・・・。

あなたがノーシスの超越的秘教ワークに完全に専念するために、

あなたの利己的種類の興味を、あなたは、自から極めて沢山あなたの利己的種類の興味をなくすようになる。

人生の基本が

「仏教的寂滅」=「エゴの溶解」であるのは明白である・・・。

生きる目的の基本が

「仏教的寂滅」=「エゴの溶解」であるのは明白である・・・。

神智学徒はそんな言葉にゾッとする。

「ここ、およびすべての世界で存在しなくなるのは痛ましい。」と彼らは言う。

しかしノーシス学徒達は「偉大な寂滅」=「エゴの根絶」を実現し、(エゴの)死を恐れない必要がある・・・。

あいにく人々はエゴの死を怖がり、

知らず知らずこういう偉大な寂滅=エゴの根絶の教えに、抵抗を示す。

私の話を聴いている皆さん自身は、

ノーシス秘教ワークに関する説明に何らかの抵抗をたった今示していないと確信していますか。

たった今,退屈していない、あくびしていないと確信している人は皆さんの中にいますか?。

偉大な寂滅=エゴの根絶の教えが少しつまらないと感じていないか?。

かわりに、もし、

私がたった今、宝くじが経済状態の改善方法か、

または愛とか,そのようなものにおける成功の仕方について話し出すなら、

皆さんは,決してあくびしないことを私は保証する。

しかし.、

私の話しが自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)に働きかけるワーク、仏教的寂滅=エゴの根絶に直接ふれる際、

皆さん一人ひとりが、心の奥底で抵抗するのは明らかである。

なぜ?

なぜならあなたのエゴは、消滅を決して望まないからである。

あなたのエゴは存在そのものをもくろむので、

あなたのエゴは、仏教的寂滅=エゴの根絶の教えを拒絶する・・・。

皆さんの中に存在したくない人はいますか?。

皆さんは、ここ(三次元世界)と「あの世」で存在したいと願う・・・。

皆さんの中には「もう結構、私は物質界に存在せず肉体を去りたい。」と言う人もいるだろう。

でも、どんな秘密の欲望を抱いてそのように皆さんは考えるのか。

単に高次世界でもう少しいい状況で、生きたいと皆さんは熱望するからである。その事は、はっきりしている。

どうして、主任司祭はあれほど多くの人々を抱えているのか?

それは、主任司祭はエゴ根絶を加入者に提供していないからである。=(ですから、加入者のエゴは安全で、幸わせである。)

主任司祭は加入者の教会への支払い金に基づいて加入者へ天国を提供し、

ありとあらゆる勲章と、ありとあらゆるもてなしに恵まれた天国・極楽へのパスポートを加入者へ与えるからである。

例えば、

未亡人が教区教会にかなりの財産を残すならば、引き換えに天国への保証=パスポートが未亡人に与えられるのは明らかである。

ひどい犯罪者・暗殺者であったかも知れない人が主任司祭から天国への保証を受け取るには主任司祭に告解するだけで十二分であある。

さてさて小金をもっと沢山主任司祭へ残す人は、煉獄さえ通り過ぎて天国へ直行してその人は幸福だろう・・・・・・・。

加入者はそうゆう簡単=容易なことをとても好む。

加入者のエゴは何としても胸にピストルを突きつけられるのを回避するからである。

例えば、

ラテン・アメリカ全域から手紙が私のところに届く。

チャクラ・

イニシエーション・

パワー・

ノーシスン運動の中での地位・

社会的地位・

経済状況・

恋愛問題などについて質問するが、・・・・・・・・・・・・。

エゴの溶解について質問する私への手紙は、かって極まれにしか受け取った事がない。

ラテン・アメリカのノーシスを学ぶ全員が

パワー・

位階・

イニシエーション・

金銭・

地位などを求めるが、エゴの溶解に真剣に没頭している人からの私への手紙は見つからず、私は大きな悲しみを感じる。

偉大な寂滅=エゴの根絶の教えにエゴは生き続ける事が出来るならば、例え、全員が黒魔術師であってもかまわない。

エゴの望みはパワーに満ちた偉大なる主、ただし、わざわざ死なない。

しかし、真実はエゴが死んで、エゴの死と共に新しいもの=美徳が出現する。

胚が死んで、植物は初めて誕生する。

この真理・真実を彼らは、理解しようとしない。

彼らは手紙に中で不平を書き、まだ意識して幽体離脱が出来ない、悟りを得たい、まだ高次世界からメッセージを受け取れないなど、

その他いろいろな不満を言う。

彼らは、

先にエゴを溶解して・良心=意識=エッセンスを解放して自分は初めて、悟りを得る事が出来る事実に気が付こうとしない。

先ず、自分の中にあるエゴを溶解しないならばエッセンス=意識=良心が解放されないことに彼らは、気づこうとしない。

彼らはわかろうとしない。

彼らは悟りを得たいと思っても、死にたいとは思わない。

エゴの死の方法を教えないスクールは何の役に立つのか?

私たちの悟り・解脱・解放はエゴの死と共に初めてやって来る。

したがって、

私たちがエゴを溶解しないのならば私たちは哀れにも、時間を無駄に浪費してしまっている。

私たちは自分の中にあるエゴ=悪魔=私たちの全ての間違いの源を溶解するために、

1.私達はノーシス秘教ワークに愛情と慈しみを感じる必要がある。

2.私達はノーシス秘教ワークを愛する必要がある。

3.私達はノーシス秘教ワークに専念する必要がある。

「我」を構成するいろいろな[心理的集合体]の中に、閉じこめられたエッセンス=意識=良心=愛 はエゴ自体の条件付けによって処理される。

私たちのエッセンス=意識=良心=愛がエゴの中に雁字搦めに(がんじがらめに)なっている限り

実は

1.私たちは正常ではない=異常である。

2.私たちは異常心理の所有者である。

E.T、=宇宙人に連れていかれる人々のケースが絶えず私たちの耳に届く。

宇宙船に運ばれて旅をした人々は、地球に帰ってから、

宇宙船の船内の実験室内に収容されていたことを常に明らかに語っていた。

その人々たちは、常にE.T=宇宙人達によって実験室内で検査され、後にそっとおかれていた。

クルージングの後、その人々は宇宙人によって誘拐場所に帰される。

異星の兄弟姉妹の操縦するそれらの巨大宇宙船には、驚くべき実験室があるのははっきりしている。

では、何の為に宇宙人は地球人を宇宙船に運び込んで実験室内に収容するのか?

心理が正常な宇宙人から見ると、私たち地球人は

1.異常心理を持つ創造物。

2.正常でない人。

3.摩訶不思議な極めて稀な心理を持つ創造物。

4.夢遊病状態で生きている人だからである。

これが一番の動機である。

地球の異常者=私たち=今の人類を見るのはE,Tにとっては大変興味深く、

地球の異常者=私たち=今の人類を、調査のために、研究のために、実験室内へ運ばれる。

私たち=地球人は異常な生物である。

それが私たちの残酷な現実である。

今、皆さんは明確に全てを納得するであろう。

1.私たちが自分自身に働き始めた時に、

2.私たちがノーシスの秘教ワークを正しく開始した時に、

私たちは正常な心理を持つのが初めて可能になる。

それ以前は不可能である。

太古の地球において、三つの脳を持つ生物=人類の心理は正常だった。

三つの脳とは

1.一つ目の脳はインテレクチャる・センターのことを言う。

2.二つ目の脳は感情センターのことを言う。

3.三つ目の脳は本能センター+運動センター+性センターのことを言う。

当時の人類は異星人と釣り合いが取れていた。

〔しかし、地球の地殻をしっかりと安定させる為に人類に与えられた忌まわしいクンダルティグドール器官の消滅後、

人類の心理は異常になってしまった。〕

その原因は地球の地殻をしっかりと安定させる為に人類に与えられた忌まわしいクンダルティグドール器官の残骸の結果が

人類の有機機械の五つの下等センター

1.マインドセンター=インテレクチャルセンター

2.感情センター。

3.運動センター。

4.本能センター・

5.性センターに残ってしまったからである。

それらの結果がエゴと呼ばれるものなのである。

エゴの中に雁字搦めになったエッセンス=良心=意識はエゴのままにコントロールされて異常に機能し始め、

今日も異常のまま機能し続けている。

であるから、私たちの生きる目的は、

1.自分のエゴを溶解する事である。

2.エゴに閉じこめられている一番大切なエッセンス=意識=良心を解放する事である。

3.今、陥っている私たちの異常心理状態から脱する事である。

4.太古の人類と同じ心理=正常の心理に帰ることである。

地球人(=現人類の私たち )のさまざまな異常をみて見よう。

その一つは私達の不寛容さである。

私たちが他人の欠点を見ても、自分にある欠点を見ないのは深刻である。

私たちは何らかの間違いを他人に押し付けますが、私たちはあり余るほど間違いを持っている。

証拠もないのに、隣人の態度とか、 隣人の考えとか 、隣人の計画を私たちが批判するのは異常である。

私たちが自己想起しながら正しい自己観察のワークを実践して心理の研究の道を進んでいくにつれて、私たちは、

1.隣人も、

2.自分も、

異常だと気づく。

誰それが言った。

何がしが言った。

さる人が言った。・・・・・・・・・・・・・・・。それは、地球世界にしか見られない。

正常の人々の間では

1.噂話。

2.陰口。

3.中傷は存在しない。

であるから、

1.噂話。

2.陰口。

3.中傷は人々が正常でない世界に特有のものである。

あなたのマインドが次から次へとどのように反応するか!

あなた自身で(自己想起しながら正しい自己観察のワークをして)観なさい。

花子さんが太郎さんにこれこれと言う。太郎さんは激しく反応して、傷つけられたと感じる。

そうゆうのは異常である。

進歩した空間の高次世界では花子さんが太郎さんにこれこれと言えば、太郎さんは沈黙し、議論しない。

高次元世界・心理が正常な人々の間では、一人ひとりが言いたいことを自由に言えるからである。

かれこれ30年前になるが)

或る時、私は高次世界で天使アナエルと会話していた。

話題は私が自分では所有していると信じていたのに、実はまだ私が所有していなかった特定の美徳についてであった。

天使アナエルはある観察の後、私の間違いを私に教えてくれた。しかし、私は地球人式の議論に慣れていたので、

私はその時に、異論を少し天使アナエルに唱えた。

私は、過去、現在、未来のすべての論理に訴え、俗に言う「人の一番痛いところをつき」たかった。

アナエルは一言もしゃべらずに私の話を聴いていた。

私がやっと議論を終えた時、=キケロの弾丸演説を終えた時、アナエルは紳士の態度で一言も言わず背を向けて引き上げた。

アナエルは話すべき事を話し、私が話したい事を私に話させて呉れた。

私は、話したい事を細大もらさず話した。もちろん、どれだけの事を話したか。沢山。

けれども、アナエルは謹んで沈黙を守り、礼儀正しく私の話しを聴き、背を向けて立ち去った。

別の或る時、高次世界で私はシバナンダと会話した。

私が高次世界で説教か講義をしていたのを思い出す。

私は[タントラ経典]と[タントラ仏教]について=錬金術師の小礼拝堂の「秘中の秘」について話していた。

丁度その時、肉体を去ったばかりのシバナンダが直ちに訪ねて来て、私にこう言いった。

「わかりませんか! あなた、マスターサマエル尊い教えを俗化させているのです。

(つまり私が錬金術の鍵を提供している事=性について教え話している事をシバナンダは卑しい事=

俗化と考えているので)教えを俗化する事は出来ません!・・・・・・・・・。」

私は慣れない口調で議論を始めた。

「全ての質問に答える覚悟が私は出来ています。議論は解放されています」と珍しく言った。

シバナンダは地球人なのに東洋式に座って深い瞑想に入る良識があった。

しばらくすると、誰かが私のマインドの中を調べているのを私は感じた。

観ると,深い瞑想に沈んでいるヨギがいた。

シバナンダは深い瞑想を終えると立ち上がって私の方に近づき、抱擁して、

「あなたが人類に伝えているメッセージを私は今やっと理解しました。

マスター・サマエル、私はあなたと同じ意見です。あなたの書物を読むよう薦め、全世界に私は推薦しましょう。

ようやくすべてを理解しました。」と言った。

勿論、シバナンダは地球人であるが、他の地球人より少し思量深い地球人である。

少なくても地球人で無い態度驚嘆すべき神秘的な態度を既にとっていた。

* スリ・スワミ・シバナンダ・・・神聖生命協会の創始者。*

であるから、親愛なる兄弟姉妹、

あなたが、自分の「我」を溶解する時、あなたは、物分りがよくなる。

あなたが、他人の立場を理解出来るようになった時、あなたは、寛容になる。

あなたが、他の人の身に立場を置く事が出来るようになった時,あなたは、破壊的批判はしなくなる。

あなたが、自分のエゴを溶解する時、あなたは、正常になる。

あなたは他の人とは全く違うふうに振る舞い始める。

であるから、この地球人の、他人への反応の仕方を見ると、私は悲しく思う。


地球人のあなたは、誰が何かを言うと、あなたは反応して、自分の事をそれとなく言われていると思う。

これは、私たちの地球人の世界でしかみられない。

正常な心理がある高次世界では、これらの反応は見られない。

ここ、地球には、異常心理がある。

であるから、あなた、じっくりと考えなさい。

じっくりと考えて、あなたも、ノーシス秘教ワークを愛する必要がある。

もし、あなたが、ノーシス秘教ワークを愛するようにならないならば、あなたは、決して自分自身に働きかけないだろう。

もし、あなたが、ノーシス秘教ワークを愛するようにならないならば、あなたの生活とあなたのワークとの結びつきは決して無いだろう。

あなたの生活とあなたのワークとの結びつきがないならば、あなたは、決してノーシス秘教ワークを真に理解しないだろう。

であるから、

(異常心理を正常な心理に変換する為に)あなたは、ノーシス秘教ワークを理解する必要がる。

あなたが「仏教的寂滅 」を通って、あなたの意識=良心が覚醒する事をホワイト・ロッジのマスターたちは望むだけである。

あなたが、偉大な仏教的寂滅を通っていないのは、あなたにとって、極めて・・・・・拙い。

どんな状況か?どんな具合か?とあなたが私に質問するならば、

私はあなたに、「皆さんは何と拙い状態に今いる」と答える.。

何故?

あなたが「生きている」のが分かるからです。=(エゴが活発に生きている事)これは深刻な事である。

あなたのエゴが生きている間は、あなたは、他の人を理解出来ない。

あなたのエゴが生きている間は、あなたは、実際の真の調査が出来ない。

あなたは、主観的意見の交換の世界にいて、あなたの考えは、支離滅裂で正しくない。

あなたが、エゴを溶解してあなたが心理的に死ぬ時、あなたは、ここ三次元世界とすべての世界で存在する事をやめる。

そのようにしてあなたは本当に死ぬ。

今の「生者」がニルヴァーナを成就できるとあなたは信じているのか?

答えは、全くノーである。

ニルヴァーナは天国である。

であるから、仏教徒たち自身が言っている。『「我」を溶解し、「我」を消滅させる事がニルバーナである』と。

あなたがたが、自分の「我」を溶解すること。

それが、あなたの人生の成功の基本である。

今日の話は、ノーシス秘教ワークに関して強調してきた。

自分を偉いと感じる?

私たちは誰も偉くない。

あなたの、

1.傲慢の「我」.

2.尊大の「我」

3.不寛容の「我」

4.自尊心の「我」は

隣人愛の障害である。

あなたの人生の成功の大きな障害である。

あなたの人生の成功の基本となる=「我」の溶解。

1.自尊心の「我」。

2.傲慢の「我」。

3.不寛容の「我」。

4.尊大の「我」。

と呼ばれるその他諸々の「我」の溶解を仕事として私はあなたがたに課す。

自分が偉くなったと感じる?

私たちは誰も偉くない。

1.自尊心の「我」。

2.傲慢の「我」。

3.不寛容の「我」。

4.尊大の「我」。

これらの、あなたの「我」は、隣人愛の障害である。

あなたが、単なる感情的愛を取り除いて、意識のある愛を達成する事は、絶対に必要である。

それが基本である。

感情的愛は

1.嫉妬・

2.情欲・

3.打算・

4.自尊心・

5.自己愛・

6.恐怖・などに満ちている。

それ=感情的愛は、愛ではなくむしろ苦しみである。(この言葉をゆるしてください。)

あなたの幸わせには、「意識ある愛」が必要である。

「愛は法なり。ただし意識ある愛なり・・・・・。」

私はあなたに、口が酸っぱくなるほど何度も繰る返し言う。

あなたは、隣人の愛し方を学ぶ必要がある。

あなたが、隣人を理解しないならば、あなたは、隣人を愛せないだろう。

あなたが、

1.隣人を十二分に意識しないならば、

2.自分自身を十二分に意識しないならば、

あなたは、隣人を理解できないだろう。隣人を愛せないだろう。

あなたが

1.自尊心の「我」

2.傲慢の「我」

3.不寛容の「我」を、

取り除かなければ、あなたは、自分自身を意識できないだろう。

であるから、

あなたは、自分の中にある

1.自尊心の「我」

2.傲慢の「我」

3.不寛容の「我」を崩壊させる必要がある。

あなたの尊大の「我」を崩壊しよう。

何故ならば、私たちは偉くないからである。

ノーシス・ムーブメントのプレジデント・創始者の私自身すら、自分自身(エゴ=複数の我)を偉いと看做せないだろう。

私は大地の泥の中を這いずる卑しいミミズだと思っている。

私は皆さんよりも偉い・偉大だとは思っていない。また、偉いとも考えたくない。

私は、皆さんの召使である。それだけの者である。卑しい召使である。

あなたも、わたしも、尊大の意識を持つ限り、間違った「道」を歩むだろう。

今夜の話はここまでです。皆さんの中でどなたか質問する事があれば、自由にどうぞ 。


質問。

尊敬すべきマスター・サマエル

幼稚園の先生の場合 、ノーシスの教えを園児に 伝えるのにはどうすれば良いのでしょうか?

それらの園児達が隣人愛を理解し、隣人愛を培っていく為には、どうすれば良いのでしょうか?

マスターの回答。

「私があなた方を愛したように、あなた方は互いに愛し合いなさい。」

本当に「隣人愛」は大変ロマンチックで、極めて美しく「思える」ものです。

しかし、私たちが本当に、偉大なるカビール・イエスの言葉を理解しないなら美辞麗句にすぎません。

ですから、

あなたが、

他の人を愛せるようになる為には、

あなたは、

実際に自分のエゴを溶解して意識を持つ必要があります。

意識と愛は同じものです。

意識は愛です。

あなたが他の人を意識していないならば、

あなたは明らかに他の人を愛していません。

あなたが自分自身を意識していないなら、

あなたはどのような方法で、

他の人を意識するのでしょうか?

あなたが、

他の人を意識出来る為には、

あなたは、

先ず最初に、

1.自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)を意識する事から始める必要があります。

2.自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)の間違いと自分の欠点を意識する事から始める必要があります。

そうするならば、

その時、

初めて、

あなたは他の人を意識出来るようになります。

あなたが、

1.自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)を意識し、同時に

2.他の人をも意識する時に、

あなたは、

もはや他人を批判せず、

「だれそれは泥棒だ、何がしは刺客だ。」とは、もはや言いません。

あなたは、

自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)を意識して、

私はもう何回も奪い、何回も盗み、何回も殺してきた事が分かります。

或人はおしゃべり、うわさ好きだと、もう、あなたは言いません。

あなたは、自分がしばしばおしゃべりで、うわさ好きだった事が分かります。

あなたが、

そのように自分自身(自分の中に存在しているエゴ=複数の我=鬼=悪魔)を意識して行くに連れて,

あなたは、

他人の立場に身を置く事を学ぶでしょう。

あなたは、

他人の視点を理解することを学ぶ=あなたは、他人に対して理解力を示すでしょう。

これが、良く理解された愛です。

あなたが、

他人をまったく意識しないのならば、

あなたは、

他人をまったく愛していないのです。

質問。

尊敬すべきマスター。

講演であなたはワークを再評価すべきだと話されました。

例として,「高価な真珠」をあげました。

私個人のケースの場合について質問させてください。

私は今、学問的に公式心理学を研究する機会が起こっています。

その一方で、

私はノーシスのインストラクターとして使命に専念する決心をしています。

私が、これらの公式心理学の研究に専念するならば、

私はノーシスの道において後退するのでしょうか?

ノーシス秘教ワークの目的に関連して回答を与えてください。

マスターの回答。

よろしい・・・・・・・・・。

あいにく、

学問的な公式理論心理学が・・・間違った道を進むのは疑いありません。

あなたに、馬鹿げた理論は不必要です。

真の心理学は、

1.エゴの探求に従事しているべきです。

2.自己探求に従事しているべきです。

3.私たち一人ひとりに在る「心理的集合体]の認識に従事しているべきです。

4.それらの「集合体]の除去に従事しているべきです。

要するに、あなたは深い直接的な自己探求に従事しているべきです。